聞くところによると、本日8月1日は『洗濯機の日』だという。これは8月1日が「水の日」であることにちなんだもので「水に縁がある = 洗濯機」というのがその理由らしい。だったら「トイレの日」でも「水泳の日」でもいい気がするが、それは言いっこナシだぞ♡
それはさておき、みなさんは「洗濯板」を使用したことがあるだろうか? 平成どころか令和に突入した現在、洗濯板を使用している人はかなりレアだと思われるが、果たして洗濯板の実力はどれほどのものなのだろう? 「洗濯機の日」にあえて洗濯板に初挑戦してみることにした。
・絶滅危惧種
年代にもよるのだろうが「洗濯板で洗濯してる人―――!」と呼び掛けても、どれほどの人の手が上がるのだろう? 桃太郎のおばあさんでもない限り、令和2年に洗濯板を使用している人はかなり少ないハズ。いや、桃太郎のおばあさんだって令和2年なら全自動洗濯機を使用しているに違いない。
それはどうでもいいとして、実は私(P.K.サンジュン)の母は、その昔洗濯板を使用していた。あれは私が小学校のサッカー部だった頃、土まみれになった厚手のソックスを洗濯機に放り込む前に、1度洗濯板で “ざっくり洗い” をしていたのだ。
この日のために購入した洗濯板には「特に落ちにくい汚れものは、洗濯板で洗ってから洗濯機に入れると、より一層きれいになります」と書かれており、これはまさに母が意図した使い方である。洗濯板自身もソロ活動は厳しいと感じていることは明白で、だいぶ前から洗濯板は「洗濯機との共存」に活路を見出しているようだ。
・洗濯板で洗濯してみた
んでもって、いよいよ洗濯板を使って洗濯に挑戦である。今回は「Tシャツ」「靴下」「テーブル拭き」の3点を洗濯してみることに。果たして洗濯板の実力や使い勝手はどのようなものなのだろう? もしかしたら意外と最高で、我が家でも採用される……かもしれない。
さて、まずは靴下から。洗濯板と靴下をジャブジャブと水に浸したら、洗濯石鹸をこすりつける。あとは洗濯板のギザギザで靴下をゴシゴシこすり続ければOKだ。
……。
…………。
………………。
ふぅ。
正直、きれいになっているのかどうかさえわからないが、片方の靴下1個洗うだけでも結構めんどくさい。靴下越しに手も洗濯板にこすりつけられるため、妙に血行が良くなりジンジンとかゆくなってきた。
お次のTシャツは靴下より素材が薄いため、途中から「これボロボロになるんじゃね?」的な怖さがあったことを記述しておく。だって水と石鹸を挟んでいるとはいえ、まあまあ鋭利な木のギザギザに布をこすりつけるんですもの。普通に布が負けちゃうでしょ。
・心に浮かんできた想い
そんなこんなあって、無言のまま「テーブル拭き」に突入。作業自体は靴下及びTシャツと同様である。かゆくなった手で、ひたすら布を洗濯板のギザギザにこすりつける42歳。やがて洗濯物の泡を洗い流したとき、私の心には1つの想いが浮かんできた。
「そりゃ、洗濯機売れるわ」
テレビや冷蔵庫と比較した場合、洗濯機は意外と高価な家電と言えよう。もちろん性能にもよるが、家電量販店には10万円オーバーの洗濯機がズラリと並んでいる。……が、買う。その価値は死ぬほどある。この日はいくつかの洗濯物をしただけであったが、洗濯機の偉大さは骨の髄まで身に染みた。
ちょっと考えればわかることだが、洗濯板には「脱水機能」がない。洗濯物を1つ1つ手で絞る労力を思えば、それだけでも洗濯機の圧勝だ。うさぎとカメ……どころか、光とカメほどの実力差があると考えても良かろう。そりゃ、どれだけ貧乏でもコインランドリーに行くよ。「洗濯板で洗えばいいや」とはならないよ。
・愛しかない
一方で、洗濯機が誕生するまでの長い間、世の中の洗濯物を一手に引き受けていた「洗濯板」とお母さんたちには、深い感謝の念と愛情を感じずにはいられなかった。それはそうだろう、こんな面倒な作業は愛が無ければ続けられない。もはや洗濯板の存在そのものが “愛の結晶” ではないだろうか?
というわけで、「洗濯機の有能さ」と「洗濯板の愛の深さ」を思い知った初めての洗濯板体験であった。洗濯機、いつもありがとう。母ちゃん、当時は本当にどうもありがとう──。