【実話】成人の日に「父からもらった初めての手紙」の話
【究極のせっかち】孫が生まれた3日後に父が放った「気が早すぎる一言」
最終的には個々人の資質によるのだろうが、人間は年齢を重ねると穏やかになるのだろうか? それとも逆に気が短くなるのだろうか? 幼い頃はなんとなく「おじいさん、おばあさんは穏やかなもの」なんてイメージがあったが、最近は「そうでもないな」と感じている。
というのも、私、P.K.サンジュンの最も身近にいる老人、父・ヨシオさんが、超が付くほどせっかちだからだ。特に忘れられないのは、今からおよそ4年前に父が放った一言。私の娘、つまりヨシオさんにとっては孫ができた時のことであった。
・元々せっかちだったが
いまだに理由はよくわからないが、かつてヨシオさんは「孫なんていらない!」と盛大にブチギレていた時期がある。ただ実際に孫が生まれると即座に “孫LOVE” に変貌し、それは今になっても変わらない。いや、孫への愛は日に日に強くなっているようだ。
さて、そもそもヨシオさんはせっかちな性格であり、さらに言うと自分の意見は基本的に曲げない。それでも本人的には「自分はだいぶ柔軟性がある」「かなり子供たち(私と妹たちのこと)の言うことを聞いている」と自負しているフシがある。このギャップこそが、今でもたまにある私とヨシオさんのケンカの原因だ。
・さらなるせっかちへ
それはイイ。「三つ子の魂百まで」とは言ったもので、年齢を重ねると人は穏やかになるというのは、単なるイメージでしかないのだろう。それどころか年月と共にヨシオさんのせっかちな性格には磨きがかかっている。
それを確信したのが、今回お話させていただく「孫が生まれた3日後に放った一言」だ。あれは今から4年ほど前、ヨシオさんにとっては2人目の孫、つまり私の娘が生まれてすぐのこと。その一言を聞いた時、私は率直に言って意味がわからなかった。
当時、すでに孫LOVEに転身していたヨシオさんは、2人目の孫の誕生を心待ちにしていた。しかも私は長男で、娘は第一子である。それはそれはワクワクしながら、孫の誕生に思いを馳せていたのであろう。
・孫が生まれて3日後
妻は無事に出産を終え、娘も五体満足で生まれてきた。私も嬉しかったが、ヨシオさんもすぐに病院に駆け付けるなど、大喜びの様子である。まだ目が開くか開かないかの娘を見つめる眼差しには、孫愛しかない。それ自体は非常に喜ばしいし、私も孫の顔をヨシオさんに見せてやれたことが嬉しかった。
が、娘が生まれて3日後のことである。ヨシオさんが2回目の病院に来た時だ。ベッドで横たわる妻、そしてその近くのイスに座る私。ヨシオさんは孫を抱きながら、私たちに「ちょっと気が早いかもしれないけど……」と前置きしつつ、こう言ったのだ。
「あれだな。ランドセルはイオンのでいいな! テレビで見たんだけど今は丈夫で安いヤツがいっぱいイオンで売ってるらしいんだ。牛革のランドセルなんかいらないよ!! それは私が買ってやるから! 今はイオンでいいヤツがいっぱい売ってるらしいから!!」
娘がランドセルを必要とする日まで、少なくとも7年はある。まだ会話はおろか、歩きも座れもしないタイミングでランドセルの話を持ち出すとは、どれだけせっかちなのだろうか? 3000グラムの孫を抱きながらランドセルの話をする人間を、私はヨシオさん以外に知らない。
・気が早いとかいうレベルじゃない
当然、テレビを見たタイミングもあるのだろうし、孫が生まれて有頂天だったこともあるのだろう。だとしても、生後3日の時点で7年後の話を持ち出すとはあまりにもせっかちすぎないだろうか? 時空を超えすぎている。
私自身そこまでの自覚は無いが「ヨシオさんに似てせっかち」と言われることがある。親子なのである程度は似ているとしても、絶対にヨシオさんレベルではないと確信しているのだが……。年を重ねてヨシオさんのようにならぬよう、気を付けたいと思っている。
執筆:P.K.サンジュン
Photo:RocketNews24.
【実話】伯母が創価学会にハマった話
日本最大級の信者数を誇るとされる、宗教団体・創価学会。これは宗教全般に言えることだが、唐突に「創価学会」「〇〇教」と聞くとやや身構えてしまう日本人は多いハズ。見た目だけではわからないが、何かしらの宗教を信仰している人は意外と多いのだろう。
私、P.K.サンジュンの伯母はズバリ「創価学会」の信者である。どうしてそうなったのかは知らないが、ある日突然「伯母はゴリゴリの創価学会信者」であることが判明した。かなり長くなるが、今回はその話をしよう。もう1度言う、かなり長いのでお時間に余裕があるときに目を通していただきたい。
・伯母の半生
伯母は寂しかったのだと思う。どこからどう話すのが適切なのか悩んだが、創価学会の話に行く前に、本人や周囲の人から伝え聞いた伯母の半生をひも解いていきたい。一言、伯母の人生はなかなかドラマティック……言葉を変えると “壮絶” だ。
伯母は母の姉で、昭和1桁か2桁の前半生まれ。私の伯母なので、当然在日韓国人ということになる。その歳の人だから幼少期は第二次世界大戦真っただ中、そして戦争が終了して間もなく年頃を迎えた計算だ。
伯母は第一子でもあったから、おそらく当時の多くの人と同じように、下の兄弟たちの面倒を見ながら育ったのだろう。私の母を含む伯母の下の兄弟3人は大学を出ているが、伯母が大学を出たという話は聞いたことが無い。
私が聞いた「伯母の最も若い頃の話」は、伯母が20歳そこそこの頃の話だ。伯母は当時としてはとても長身で、165センチくらいはあったという。スタイルの良い伯母が夢見たのは、なんと女優。家族に内緒で当時の映画業界最大手「日活」のオーディションを受けたというのだ。
驚くことに、なんとオーディションにも合格。どの程度のオーディションなのかはわかりかねるが、微かながら女優への道も開けたらしい。……が、結局は伯母がその道に進むことは無かった。なぜなら、父(私の祖父)の猛反対を受けたからだ。
これを書くと死ぬほど長くなるので割愛するが、とにかく祖父は破天荒な人物である。いや、破天荒はカッコ良すぎる “人でなし” と言っても差し支えあるまい。最も手短なエピソードを紹介すると「金に困って息子の住んでいる家を勝手に売った男」それが私の祖父、つまり伯母の父だ。ね、人でなしでしょ?
・祖父のせいで
話を戻そう。わずかに開かれた夢への道も、祖父の反対であっさりと閉ざされてしまった伯母。後年、母も「あのとき姉さんの好きなようにさせてやれば良かったのよ」と話していたが、当時父親の命令は絶対だったのだろう。ほどなくして、伯母は祖父の決めた縁談で1度目の結婚をする。
うっすら耳にしたところによると、お相手の家は大層な資産家だったらしい。金に汚い祖父がいかにも好みそうな縁談である。……が、結婚した本人はメチャクチャな人物で、今でいうところのバクチDVなんでもござれ的な男だったようだ。数十年の時を経ても親戚一同が口汚く罵っていたくらいだから、伯母はかなりヒドい目に遭ったのだろう。
今ほど離婚が一般的ではない当時、ある意味で祖父に “掴まされた” 伯母は、若くしてバツイチになった。このとき伯母は何を思っていたのか? 祖父に対してどんな感情を持っていたのか? 私にはわからない。
で、おそらくそこまで時間が経たないうちに、伯母は2度目の結婚をする。私の母は「姉さんは本当に美人だったんだから!」と言っていたので貰い手はあったのだろう。この結婚で伯母は男の子と女の子、計2人の子供を授かる。私にとってはイトコにあたるマモル兄さんと、トモコ姉さんだ。
2度目の結婚で子宝にも恵まれ、ようやく幸せを手に入れたかのように見えた伯母。家族4人、仲睦まじく暮らしました……と言いたいところだが、残念ながらそうはならなかった。伯母は幼い子を抱えたまま、2度目の離婚をする。
この離婚の理由については、残念ながらわからない。私の母も亡くなっているため、今さら調べようにも情報源がないのだ。ただ1つだけ明らかなのは、その辺りから伯母は商売を始めたということ。具体的には水商売で、一時期はスナックやクラブなど、かなり手広くやっていたらしい。
昼夜逆転の生活を送りながらも、女手1つで2人の子供を養っていた伯母。伯母が出席できないため、私の母が2人の子供の授業参観に参加する、などということもよくあったようだ。事実、特にマモル兄さんは、私の母に良く懐いていた。
・水商売と子育て
それから数十年。バブルの頃までは景気の良かった伯母の商売も、徐々に尻すぼみになり始めた時期だったのだろう。私にとっての伯母の記憶はちょうどこの頃くらいからで、年に数回母に連れられて、伯母の住む埼玉県まで遊びに行っていた。
失礼ながら、当時の伯母は「日活オーディション合格」の片りんもない、ただ小太りのオバさん。まだ小学生だった私には、やたらと威勢のいい口調とモラルにはやや欠けた言動から「あまり品のない豪快な伯母さん」というイメージしかない。
会えば「膝が痛い」「腰が痛い」と言いながら、怪しげなサプリをぐいぐい飲んでいた伯母。私や妹たちがいようと、やたらと金の話をしていたと記憶している。ただ私たちには優しく、正月でもないのに会えば「なんか買いな」と言いつつ、小さく折った1万円札を必ずくれた。
なぜ伯母は私たち(私と妹2人)に優しかったのだろう? 当然、純粋に甥っ子と姪っ子が可愛かったこともあるだろうが、おそらく可愛い盛りの我が子たちときちんと過ごせなかったことも無関係ではないハズ。長男のマモル兄さんは20歳を迎える前に、単身アメリカに移住していた。
・憎愛
私より10個くらい年上のマモル兄さんは、どうやら伯母と上手くいっていなかったようだ。理由についてはわからないが、たまにアメリカから帰ってきても、宿泊するのはいつも私の家。夏休みなどは1か月近くも我が家にいたと記憶している。
既に成人していたマモル兄さんは、伯母から愛情を受けていないと感じていたのだろうか? 私が小学生の頃、1度だけ悪気なく「おうちに帰らないの?」と聞いたことがあるが「俺に家なんてないんだよ。サンジュンは恵まれてるんだぞ。ちゃんとしたお父さんとお母さんがいて」と呟いたマモル兄さんの寂しげな表情は今でも忘れられない。
トモコ姉さんについては我が親族最大のアンタッチャブルなので割愛するが、60歳を迎えた頃、気付けば伯母は1人ぼっちになっていた。途中途中に男はいたのかもしれないが、生涯を添い遂げるような出会いはなかったハズ。伯母は寂しかったのだと思う。
ちなみに、マモル兄さんとは私の母、そして私自身も細々と交流が続いていた。マモル兄さんはアメリカでプログラマーとして生活しており、日本に帰国すると決まって我が家に数泊。あとは会社のある高田馬場の近くのマンションに住んでいたと記憶している。
中学生になっていた私は、マモル兄さんが日本滞在中1度は呼び出され、ステーキをご馳走になった後、必ず1万円の小遣いをもらっていた。マモル兄さんは伯母の話になると露骨にイヤな顔をしていたが、その1万円はいつも小さく折りたたまれていた。私はおぼろげに「また伯母さんと同じだ」と思っていたものだ。
マモル兄さんには幾度となく「サンジュン、アメリカはいいぞ。アメリカは実力さえあれば人種やバックボーンなんて関係ないんだ。お前もアメリカに来い」と言われ、私もその気になっていた時期がある。ただマモル兄さんとアメリカで会ったのは私が旅行で出かけた20歳の頃。ロスからラスベガスまで車で20時間ほどかけてひた走った1度きりであった。
それからさらにしばらくの時が経つ。商売が上手くいかなくなっていた伯母は、おそらく金銭的にきつかったのだと思う。小さく折りたたまれた1万円札は、いつしか5千円札になり、やがて千円札になっていた。そして私が25~6の頃、事件は起きる。突然、マモル兄さんが亡くなったのだ。
長くてごめんなさい、ようやくこれで折り返しです。後半ではいよいよ「創価学会」が登場します。続きは次ページ(https://wp.me/pbYbbF-5QFz)をご覧ください。
執筆:P.K.サンジュン
Photo:RocketNews24.
『呪怨:呪いの家』が話題、夏におすすめ「家」にまつわるジャパニーズホラー作品3選
例えば少しだけ開いたふすま。例えば風呂場の鏡に映る自分の背後。例えばどうしても気になるのに、のぞくことができないベッドの下の空間。ちょっと聞いただけで情景がありありと想像できて、ゾッとするようなシチュエーションがある。日本人が共有する「恐怖の共通言語」とでもいおうか。
得体の知れない怪物が襲ってくるといった直接的な脅威で人をパニックにするのがハリウッド映画だとすれば、「なにかが起きそうな不気味な予感」だけで怖がらせるのがジャパニーズホラーだ。しかもその舞台は、どこにでもある団地だったり学校だったり、日常の延長線上にある。
Netflixオリジナルドラマ『呪怨:呪いの家』が怖いと話題になっている。怪談の季節にジャパニーズホラーはいかがだろうか。同作にちなんで「家」にまつわる作品3選をご紹介したい。
・『呪怨:呪いの家』(全6話 / 2020年)
ジャパニーズホラーの金字塔『呪怨』シリーズの最新作にして「前日譚」となるシリーズ。佐伯家が住んでいた「家」そのものの歴史に迫る。
この作品の特徴であり、恐怖の増幅装置として挙げられているのが、1980年代〜90年代に実際に起きた凶悪事件と物語がオーバーラップする点。「どこまでが実話で、どこからがフィクションなのか……?」と境界線がなくなるような感覚を抱く。
少し例を挙げるだけでも、名古屋妊婦切り裂き殺人事件、連続幼女誘拐殺人事件、東電OL殺人事件、女子高生コンクリート詰め殺人事件、神戸連続児童殺傷事件、地下鉄サリン事件と、明らかにモチーフになっていたり、あるいは不穏な時代背景をにおわせるニュースとして作中に現れる。
ドラマを見る前にこれらの犯罪史を知っておくと、より理解が深まるが……中には本当にいたたまれない気持ちになる事件もある。実在の事件を娯楽作品として消費することへの賛否は常にあるだろう。
よく知られた事実かもしれないが、『呪怨』シリーズはオリジナルビデオから始まっており、口コミの人気から劇場版が制作された。元祖ともいえる「ビデオ版」は、その映像技術のつたなさが酷評されることもある。しかし一方で、自主製作映画のような映像の荒さ、地味なカメラワーク、役者のあかぬけない演技などが「かえって恐怖をあおる」という高評価もまたある。筆者も同感だ。
『呪怨:呪いの家』では第1話が1988年から始まることから、あえて古くさい、ちょっと色あせたような映像で物語が進んでいく。それがまた不気味で、記憶の中の「昭和」や「平成」と一致してリアルである。
家に関わった人々の運命が、オムニバス形式で語られていくパターンは健在。ただ、1話およそ30分というかなりのハイペースで物語が進んでいくため、登場人物の相関を把握するのがちょっと大変かもしれない。筆者も1度では理解できなかった。
本当に怖いのは怨霊か、それとも人間か。シリーズのファンには今さらいうまでもないが、凄惨(せいさん)な描写もあるので苦手な方はご注意を。視聴にはNetflixの会員になる必要があるが、この夏ぜひご覧いただきたい。
・『残穢(ざんえ)-住んではいけない部屋-』(2016年)
小野不由美氏のホラー小説を映像化。小説家である「私」のもとに、読者の「久保さん」から手紙が送られてくるところから物語が始まる。久保さんが1人暮らしをしている部屋で奇妙なことが起こるというので、過去になにかあったのではないかと調査を始めるのだが……
前半は推理小説のように淡々と謎解きが進んでいく。自分の住んでいるところには、必ず前住人があり、その前にはさらに住人があり……という当たり前の事実が急に空恐ろしくなってくる作品。
古い日本家屋の怖さはもちろん、一見こぎれいなマンションであっても、あるいは新築でさえ「家」というものの怖さがよく出ている。また精神障害者の私宅監置や座敷牢、孤独死といった日本社会の闇も垣間みえる。
原作を読むと明らかだが、「私」が小野不由美氏自身であるかのように描写され、これも「どこからがフィクションか」がわからなくなる巧みな仕掛けがある。
「私」あるいは小野不由美氏が過去に書いていた「悪霊シリーズ」(講談社ティーンズハート)は、子ども向けでありながら現在のホラー作家としての片鱗(へんりん)を感じさせる名作揃いだ。
中でも、講談社ホワイトハートに移って少し作風を変えた「悪夢の棲む家」は、今回同様に「家」をテーマにした傑作。コミカライズもされている。『残穢』に関しても、ぜひ原作を読んでその魅力に触れていただきたい。
・『仄暗い水の底から』(2002年)
いつのまにか公開から18年も経ってしまい、もはや古典といってもいいかもしれない。『リング』や『呪怨』のようにシリーズ化されず完結しているために、過去の作品になってしまっている感があるが、今見ても良作だ。
黒木瞳さん主演。幼い娘と引っ越してきたマンションで怪奇現象に見舞われつつも、子どもを守ろうと必死になる少し情緒不安定な母親役を演じている。「気のせいだ」と思おうとしても無視できない怪異と、不利になっていく離婚調停という2つの出来事のあいだで、ギリギリのせめぎ合いを名演。
ホラー作品でありながら人間的なテーマがあり、母が子を思う心、そして子が母を求める心が作品の核だ。
もう1つ、この作品の秀逸なところはタイトルにもある水の表現である。「画面の湿度」という言葉で表現されることもあるが、一貫して作品全体に流れる空気の重さ、湿り気は他の作品の追随を許さない。終始じっとりと絡みつくような空気感で、カラッと乾燥する場面がほとんどないのだ。
古びた無機質なマンション、幼女行方不明事件、雨もり、エレベーターの防犯カメラ、空室から聞こえる子どもの足音……と不気味な要素には事欠かない。これらのキーワードに引っかかった方は1度ご鑑賞を。
・部屋や土地に宿るもの
上記3作品とも「家」や「転居」が怪異の元凶になっている。このようなシチュエーションが多いのは、ずばり視聴者が共感できるからだろう。誰しも同じような経験があるからなのだ。
ちなみに筆者は、住まいとして変な物件にあたったことはないがホテルならある。20代前半、母親と2人旅で札幌市のシティホテルに泊まったときのこと。到着は夜だったのでカーテンは閉まっていたが、窓が2面にある広い角部屋で、掃除も行き届いており一見すると気になるところはなかった。
しかし奇妙なことに、本来は入口付近にあるべき姿見が、部屋全体を映すようにベッド脇にある。ベッドに横になると自分が映るのでめちゃくちゃ気になる。旅行気分に水を差すので口には出さなかったものの、鏡をおおうように洋服を掛けてみたりと悪あがきもしてみた。が、実際には何事もなく一夜が過ぎた。
翌朝、カーテンを開けてみてびっくり。眼下に広がるのは墓地。そして鏡は墓地の方を向いているのだった……。
数週間後、なにげなく旅の思い出話をしていたときに、ふと母が「あのホテル、変だったねぇ」と言い出した。「楽しい旅行だからいわなかったけど、よっぽどフロントに頼んで部屋を替えてもらおうかと思った」という。
母も母で、具体的になにかを見聞きしたわけではないが、違和感を抱いていたらしい。2人とも信心深い方ではなく、大雑把な性格なのでそのまま一夜を過ごしたが、きっと敏感な人ならいろいろ体験するのだろう。
そういった「気になるホテル」にあたるのが嫌で、キャンピングカーを買うに至るのだが……それはまた別の話だ。
・さらなる恐怖を求めて
上記の3作品は、ホラー映像作品の中では文句なしの良作であるが、同時に「完璧ではない」とも感じている。肝心なところでハリウッド的な力技を発動してしまい惜しい部分もある。力技は、よほど突き抜けたものがなければ興ざめしてしまう。
突き抜けの好例といえば、『リング』1作目のラストシーン。「んなわけあるか!」と理性では思いながらも、その迫力とおぞましさは衝撃だった。
個人的な考えなのだが、ホラー映画に幽霊そのものは登場しなくていい。「○○の祟りです」という理由づけも必要ない。想像力だけで楽しめるのだ。私たちの回りには十分に「不気味なこと」があふれていて、ほんのちょっときっかけを与えてくれるだけで、共感することができるのだから……。