泣いた。周りからもすすり泣く声が聞こえた。劇場版「鬼滅の刃」無限列車編の映画館でのことである。私(中澤)がこれを見た感想をひと言で言うなら「とても良かった」。もちろん、ひと言で語れない感情が渦巻くんだけど、ネタバレになるためそこは伏せたい。
しかし、私にこれほどの感動を与えてくれる『鬼滅の刃』は、実のところ賛否両論だ。特に、アニメ好きの男性から「面白さが分からない」という声をよく聞く。映画館の客層からも女性人気の高さがうかがえた。なぜこうも分かれるのか? 映画を見て個人的に思い当たる節があったため記したい。
・アンチだった
正直、私はアンチの意見も分からなくはないのだ。なぜなら、アニメ放送時、1話切りしているからである。で、勇気を持ってその当時の鬼滅へのイメージを書くなら「ありがちな話」というものだった。
家族を鬼に惨殺された優しき男・竈門炭治郎が復讐のため旅立つ。なんか普通じゃね? その印象は、改めて見てみてもしばらく変わらなかった。『BLEACH』で言う護廷十三隊みたいなのが出てくる。聖闘士星矢の頃からお約束の流れだ。こういうの知ってる。う~ん……。
・名シーンで気づかされたこと
しかし、今から考えると、これは楽しみ方を間違っていたと言わざるを得ない。目からウロコが完全に落ちたのが、19話の『ヒノカミ』のクライマックス。上記のように頭の隅で考えながら見てしまう私でも、このシーンは言葉をなくした。
次々と連動していくコマは画面から飛び出さんばかり。禰豆子が、炭治郎が、記憶が考えることを追い越して迫って来る。そこで思ったのだ。鬼滅とはこれかもしれない……と。
考えるのではなく感じるもの。思えば、マンガやアニメを好きになった子供の頃「この流れありきたりだな」とか考えながら『ドラゴンボール』や『ワンピース』や『BLEACH』を見ていただろうか?
いや、もっと作品の世界に入りきり、キャラの目で物事を見て、肌でその熱度を感じていた。感動に客観的な分析など必要なかったはずである。作品が積み重なるうちに、考えないと理解できなくなってしまったのだ。
見始めた時の気持ちを思い出してみよう。自分が良いと思うものは「良い」と言っていいのだ。流れに逆らわず乗っていけ。そう、水のように。
・感じる
そういう気持ちで劇場版「鬼滅の刃」無限列車編を見たところ、泣いた。なんてこった……ストーリーの力とはこれだ。アニメーションの力とはこれだ。これが鬼滅の刃……。
劇場版「鬼滅の刃」無限列車編の面白さに説明は不要だ。煉獄杏寿郎がカッコ良い。それ以上の言葉は無粋なのである。考えるのではなく感じろ。男性より感受性が強いと言われる女性が心をつかまれたのは当然の結果と言えるかもしれない。
Report:中澤星児
Photo:Rocketnews24.