ジブリパーク開業が待ちきれないので愛・地球博記念公園に行ってみた結果 → 地球屋が見えるスポットはココ! 魔女の谷にも建物が……!!

本日2022年4月29日の金曜ロードショーは『魔女の宅急便』! 言わずと知れたスタジオジブリの代表作の1つで、スッキリした爽やかなストーリーは初期ジブリって感じがする。最近のジブリの魔女はおどろおどろしいからな。こういう […]


ジブリの原点のような宮崎駿作品『シュナの旅』を知ってる? 暗くて苦しくて理不尽…でも生きる力のわいてくる名作

宮崎駿監督の作品といえば『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』『もののけ姫』などの長編アニメ映画が浮かぶと思うが、その原点ともいえる『シュナの旅』(徳間書店)をご存じだろうか。 オールカラーのイラストと詩文で構成された […]


モヤモヤ解消『ハウルの動く城』が “難しい” と感じるワケ / 2週連続「金曜ロードショー」でジブリ作品放送!!

「金曜ロードSHOW!」改め「金曜ロードショー」にジブリ再び! 4月2日『ハウルの動く城』放送だ。 スタジオジブリの代表作といえば『風の谷のナウシカ』や『千と千尋の神隠し』といった少年少女の痛快な冒険活劇がまず浮かぶ。 […]


【あるある】『借りぐらしのアリエッティ』を今改めて見ると思いがちなこと35連発「進撃のハルさん」「神木隆之介の穏やかな声に漂う絶望の香り」など

本日2020年8月28日の金曜ロードショーは『借りぐらしのアリエッティ』だ。今夏の3週連続ジブリのラストを飾る本作は、今年で公開されて10年が経つ。

そんな本作を改めて見てみたところ、まず作画に目を奪われた。絵具特有の味のある背景からは自然の豊かさや光の美しさがあふれ出すようである。出だしからジブリワールド全開だ。

それとは別に今だからこそ思ったこともある。これ、金曜ロードショーで改めて見る人もきっと思うんじゃないだろうか? そこで「あるある」という形でご紹介したい。

【『借りぐらしのアリエッティ』を今改めて見ると思いがちなこと】

1. 媚びてない猫にまずジブリを感じる
2. 一方バッタの可愛さが童話
3. お母さんにローリエ渡すところのアリエッティの表情がジブリ
4. お父さんに漂うラピュタの鉱夫感
5. 人間の家を進む時のRPGダンジョン感はゲームでもいけそう
6. キッチンが怖すぎる
7. 両面テープでクライミングするお父さんカッケー
8. 電源を外した奥に小人の道が続いてるワクワク感がジブリ
9. ゲームだったら人形の家がセーブポイント
10. 響く時計の音に感じるボスステージ感
11. イベント発生
12. 変わる時計の音と感情の読み取れない翔の目が不気味すぎる
13. 脳裏にチラつく数年前に社会現象になったある作品
14. いや、きっと気のせいだ
15. 角砂糖を置く翔の足音に再びチラつくある作品
16. いや、気のせいに違いない
17. 家政婦ハルさんの不穏な動き
18. スピラーの「このくらいいる」がどのくらいか分からない
19. 突然の襲撃にチラつく例の作品
20. 巨大な手の風切り音
21. 家の壁を引き抜く圧倒的破壊にデジャヴュ
22. 気のせい……じゃない?
23. 優しい目で酷いことを言う翔
24. 自虐的な「全部僕のせいだ」が本当に翔のせいでビビる
25.「67億人だよ」の時の翔の魔王感
26. 神木隆之介の穏やかな声に漂う絶望の香り
27. バールのようなものとハルさんの組み合わせの不穏さ
28. み~つけた
29. ハルさん顔! 顔!
30. もはやモロである
31. マジ進撃のハルさん
32. アリエッティを肩に乗せる翔がアルミンを肩に乗せるエレンと一致
33. 進撃の翔
34. 最終的には動きも巨人になるハルさん
35. 後半ほぼ『進撃の巨人』

──というわけで『借りぐらしのアリエッティ』は改めて見ると壁と立体機動装置のない『進撃の巨人』だ。人間目線で描かれるシーンはほのぼのしてるのに、小人目線になると一気に進撃度が増すのである。当時はアニメ版『進撃の巨人』はまだ放送されてなかったし気づかなかったけれど。

それでも、この物語が童話然としているのは誰にも悪意がない点。善意からの行動であっても、見る角度や立場によっては悪になりえる。人間の視点と小人の視点、作中で入れ替わる2つの視点からはそんなことを感じずにはいられない。それだけに最後の翔とアリエッティのシーンは救いだが。

そして、見た後にちょっと世界の見方が変わるところはまさにジブリ。以前見たことがある人も今夜見てみると、小人が新たな世界を教えてくれるかもしれない。改めて名作である。

執筆:中澤星児
Photo:Rocketnews24.



【金曜ロードショー】初めて『コクリコ坂から』を見てみた! ゲド戦記で「アンチ宮崎吾朗」になった私の感想をネタバレなしで正直に言うと…

本日2020年8月21日の金曜ロードショーは『コクリコ坂から』だ。2011年に公開された宮崎吾朗監督第2作目のスタジオジブリ映画である。ジブリが好きな私(中澤)だが、実は『コクリコ坂から』を見たことがない。なぜならば……

『ゲド戦記』を見た時に「宮崎吾朗監督作品はもう見るまい」と思ったから。しかし、第2作目が公開されているのに、いつまでも処女作のイメージだけで評価しているのもどうなんだろうと思ったので、『コクリコ坂から』を公開から8年目にして初めて見てみた。その感想をネタバレなしで正直に書きたい

・ゲド戦記のトラウマ

「コクリコ坂は良い」──。そんな噂は聞いていた。だけど、私が公開から8年も見なかったのは『ゲド戦記』での肩透かし感がトラウマとなっていたからだ。私が『ゲド戦記』を見たのは映画館。スタジオジブリの新作だし、CMの壮大な感じに「待ってました!」と思ったことを覚えている。

しかし、フタを開けてみればポカーン。主人公アレンの行動は意味が分からない。いきなりお父さんを殺して逃げて鬱って。「キレる14歳」「キレる17歳」と呼ばれ続けてきた1982年世代の私でも全く共感できないのである。

そのため、勝手に話が進んで映画館の中で置いてけぼりにされているような感覚に陥った。もちろん、深い意味はあるのかもしれない。だが、それが感覚的に伝わってこないのって映像作品の監督としてはダメなんじゃないだろうか? 解説を読むのが楽しいエヴァンゲリオンとかは謎がめちゃんこ分かりやすく提示されているし。

まあ、つまるところ、私の感覚は宮崎吾朗監督の感覚とはちょっと合わないかもしれない。映画館でそう痛感してしまったため、映画『ゲド戦記』を見て以来13年間触れられなかったわけだ。しかし、この度『コクリコ坂から』を初めて見たところ、そんな『ゲド戦記』との違いを感じた。

・意味が分かる

まず、『コクリコ坂から』は意味が分かる。主人公たちがなぜ辛いのか。なぜワクワクするのか。同じ目線で感覚的に感じることができる。いきなりディスってるみたいな言い方になってしまったが、これはもの凄く重要なことだ。

なぜなら、『コクリコ坂から』が描くのは昭和38年の学生の青春。現代よりも50年以上昔であり、その古き港町の風景はもはやファンタジーですらある。同じ日本でも何もかもが今と違うのだ。

にもかかわらず、今を生きるオッサンにしてアンチ吾朗の私の色眼鏡でも共感できたのである。この時点で少なくとも、ゲド戦記とは違う。

・見どころ

次に、『コクリコ坂から』には見どころがある。それが学校にある由緒ある建物「カルチェラタン」だ。物語の中心でもある古いクラブハウス・カルチェラタンは男子学生たちの巣窟。

特に、ヒロイン・海が入り組んだ内部を進んでいくシーンの、知らない世界が開けていくようなワクワク感はまさにジブリ! 『千と千尋の神隠し』で千尋が神々の世界へ迷い込むシーンや、『耳をすませば』で雫が「地球屋」を見つけるシーンを彷彿とさせる。

・ストーリー

そんなカルチェラタンの取り壊しが持ち上がったことから、女子学生と文化部の男子生徒が団結するのが『コクリコ坂から』のストーリー。学生運動が最盛期を迎える少し前くらいの時期を描いているため、めちゃくちゃだが活気のある学生たちのドタバタ感も『天空の城ラピュタ』とか『カリオストロの城』の頃のジブリっぽい。

・ジブリっぽくないところ

逆に、個人的にジブリっぽくないと思ったのがBGMである。BGMの入り方や選曲にジブリよりも現代的なアニメのセンスを感じた。そのためか、似て非なるものな雰囲気が全編に漂っている気もする。ジブリのオマージュのようなシーンも入るのだが「なんか違う」。ひょっとしたら、この違和感が宮崎吾朗監督独特のセンスなのかもしれない。

・正直言うと

面白くなければ途中でやめるつもりだったが、結局全て見てしまった。正直、「コクリコ坂は良い」と言われる意味が分かったような気がする。ネタバレになるため言えないが、中盤の意外な展開でどうやって終わるのか気になったし。

1つ残念なところをあげるなら、ジブリ飯がいまいちだったこと。次回作『アーヤと魔女』では、ラピュタの目玉焼きトーストやハウルのベーコンエッグなみのジブリ飯の登場を期待したい。3DCGアニメだけど。

参照元:金曜ロードショーNHK
執筆:中澤星児
Photo:Rocketnews24.



【衝撃】『となりのトトロ』はラブコメだった!? 絵コンテに書かれている秘密「トトロ語の意味」「エンディングでのサツキとカンタの会話内容」など

本日2020年8月14日の金曜ロードショーは『となりのトトロ』だー! 何度も放映されているが何度見ても名作。この時期のスタジオジブリ作品には、そういったエバーグリーン(Evergreen)な魅力が詰まっていると言えるだろう。

しかし、ちょっと飽きちゃったなーという人は、絵コンテを見てみると新たな発見があるかもしれない。『となりのトトロ』の絵コンテには、結構劇中では語られない秘密が書かれているのだ。エンディングのサツキとカンタってこんなこと話してたんか……!

・出会いは最悪

や~い! お前ん家ー!! おっばけやーしきー! 何度見てもサツキとカンタの馴れ初めは味わい深い。そんな初々しい2人も、物語が進むにつれ次第に打ち解けてくる。迷子になったメイを探すシーンでは、サツキはカンタのことを「カンちゃん」と呼んでいる。

なんだこのくすぐったい感じは。ちなみに、このシーンでカンタはサツキのことを「サッ(ツ)キー!」と詰まって呼ぶのだが、これは宮崎駿監督の指示のようで、絵コンテのセリフには「サッキー(サツキではない)」とハッキリ書かれている。

・カンタの行動の謎

で、同シーンでカンタは「俺かわりに七国山に行ってやるから、お前は家に戻れ」とサツキに言う。しかし、謎なのは、エンディングでカンタがばあちゃんと一緒に道を歩いていることだ。カンタ、お前サツキに男見せて七国山行ったんと違うかったんか? 口だけか?

そんなカンタの行動の秘密がエンディングでのサツキとの会話で紐解ける。劇中では、エンディングテーマが流れており、会話の声は消えているこのシーン。絵コンテによると、2人は以下のように話している。

サツキ「ありがとうカンちゃん」

カンタ「へへ……パンクしちゃって病院まで行けなかったんだ」

(スタジオジブリ絵コンテ全集3『となりのトトロ』から引用)

──そこで、映画の絵を確認すると、確かに田んぼの中でばあちゃんとメイが抱き合うシーンで、カンタのチャリの前輪がベコべコだ。えげつないほどパンクしている

・挫折を知ったカンタ

小学生の無鉄砲さを考えるに、おそらく、パンクした後も七国山に向かって漕ぎ続けたに違いない。少なくとも小学生の頃の私ならそうするだろう。

しかし、カンタは「無理だ」と途中で気づいて帰ってきた。エンディングのカンタは挫折を知った後なのである。そのためか、私にはカンタが男の顔をしているように見えて仕方がない。カンタ……お前、ようやったのう。

・トトロ語

さらに、絵コンテには大トトロの気持ちなども書かれている。まずは、メイが初めて大トトロと出会うシーン。寝ている大トトロにメイが話しかけ、「トトロ」と名前を聞くシーンだが、この時トトロは全く名乗っちゃいなかった

メイ「あなたはだあれ? マックロクロスケ?」

大トトロ「ネムイヨーッ」

メイ「グワァァァアアア!(トトロの真似)」

大トトロ「あんたもネムイの?」

メイ「トトロ!! あなたトトロっていうのね」

大トトロ「わかりません」

メイ「やっぱりトトロね」

(スタジオジブリ絵コンテ全集3『となりのトトロ』から引用)

──続いて雨の中のバス停でのシーン。メイを背負うサツキの隣にトトロが目を見開いて立っている。この登場シーンのトトロはひと際何を考えているかわからず、未確認生物感があって私が子供の頃は若干不気味さを感じていた。しかし、絵コンテによると、この時トトロは、頭に乗せた葉っぱから鼻の頭に落ちる雫に見惚れているのだそうな

サツキ「トトロ?」

大トトロ「なんだっけ? トトロって……」

(スタジオジブリ絵コンテ全集3『となりのトトロ』から引用)

──相変わらず、自分がトトロだと分かっていないトトロ。さらに、サツキが傘を渡した後、傘と雨粒でトトロが遊ぶシーンのリアクションについては以下の意味があるようである。

数滴の雨粒の後の二カーッ → これはステキな楽器だ……
トトロが跳ねて大量の雨粒の後のヴォロロロロー! → 感極まってる

──続いてトトロが出てくるのは、庭に撒いた木の実の芽を出すシーンだが、ここは特に鳴き声の意味が書かれていない。ただし、駒に乗って「ヴォロロロロ」と叫んだ後、地上すれすれをすり抜けて風が起こるシーンには「そうです大トトの声こそ風なのです!!」と書かれている。このシーンはトトロ的には遊んでるようだ。

・ラブコメ化

そして、最後にトトロが登場するのが、メイが迷子になった後。サツキが大トトロに助けを求めるシーンだ。この時トトロは泣くサツキを見て、二カーッと笑った後「ヴォロロロロー!」と叫ぶ。

クライマックスの盛り上がりもあって、私はこのシーンをずっと奇跡が起こって気持ちが通じたトトロがサツキに「任せて」的なことを言ってるのかと思っていた。しかし、絵コンテによると、この時のトトロの気持ちは……

大トトロ「かわいい~~」

(スタジオジブリ絵コンテ全集3『となりのトトロ』から引用)

──言われてみたらトトロの頬が少し赤くなっている。カンタとサツキだけかと思いきや、まさかのトトロも絡んできているなんて。もはや『となりのトトロ』はラブコメと言っても過言ではあるまい。高校生になった3人を見てみたいところである。キャラの立ち位置と気持ちだけ整理すると『ちはやふる』みたいになりそうだ。

・純粋に美しい絵コンテ

もちろん、今回ご紹介した事実は、マニアにとっては周知のことかと思う。だが、初めて絵コンテを見た私は『となりのトトロ』の新たな楽しみ方を発見することができた。

まあ、そうでなくとも、宮崎駿監督の細かい動きの分かる絵コンテは美しく、純粋に見ていて楽しいのでオススメである。いやあ、色んな楽しみ方ができる『となりのトトロ』って本当にいいもんですね。

執筆・イラスト:中澤星児
Photo:Rocketnews24.



【ネタバレあり】なぜ『風立ちぬ』がないんだ…! ジブリづくしの夏に唯一の不満、同作の魅力を語らせて!!

既報のとおり全国の劇場で『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』『ゲド戦記』の4作品が異例のヒットを記録中。

さらに「金曜ロードSHOW!」では3週連続でスタジオジブリ作品をノーカット放送。8月14日『となりのトトロ』、8月21日『コクリコ坂から』、8月28日『借りぐらしのアリエッティ』という豪華ラインナップとなっています。まさに今年はジブリづくしの夏!

が、筆者はいいたい。なぜ『風立ちぬ』がないのかと。評価の分かれる作品であることも 、昨春に放送したばかりだというのも承知しているけれど……新型コロナと闘う今こそ見るべき作品じゃないか! メフィストフェレスとか魔の山とか、難しい暗喩がわからなくても大丈夫な同作の魅力をぜひお伝えしたい。

・生きること、死ぬことの物語

この作品への評価はおそらく賛否両論。胸のすくような冒険活劇でもなく、少年少女の成長物語でもなく、心理描写は難解で哲学的。好みじゃない、というのを通り越して「何を伝えたいのかまっっったく理解できない」という声もあるのでは。

本作は「生と死」の物語。背景に、昭和初期の暗い時代設定があります。飛行機は最初から爆弾のイメージとともにあり、関東大震災、金融危機、あふれる失業者、特高警察による取り締まりと、物語の随所で観客をどこか不安にさせるような、不穏な空気が流れています。謎の人物カストルプも不吉な予言をしますね。

零戦を作った天才設計者が主人公ということで、戦争賛美だという批判も一部で聞かれましたが、物語全体をおおう暗さは、宮崎監督がこの時代を悲痛なものとして捉えていることを色濃く示しています。

菜穂子のかかっている結核は、当時「亡国病」と呼ばれた不治の病。そしてユーミンの主題歌『ひこうき雲』は若くして亡くなる「あの子」を歌った死の歌です。常に画面にただよう死の気配……。

それでいて軽井沢での2人は、子どもみたいにはしゃいで青春の輝きを見せます。暗い時代の中にあっても、確かな希望や前向きさが感じられますよね。「死」の悲しさや虚しさと、「生」の輝きとが1つの映画に同居しているのです。

本作のキャッチコピーは「生きねば。」(実は漫画版『風の谷のナウシカ』最終巻・最終コマの言葉!)

そしてポール・ヴァレリーの「風立ちぬ」の詩と、「自分の夢に忠実にまっすぐ進んだ人物を描きたいのである」という宮崎監督の企画書……

この映画のテーマをひと言で表現するならば「どんなつらい時代でも、人は力を尽くして生きなければならない」ということだと思います。時代だけでなく、生まれた場所、性別、家族、健康状態、仕事などなど、自分の力ではどうしようもできない環境の中でもベストを尽くすべきだ、という力強いメッセージを感じるのです。

・淡々とした表現は意図的

物語はひたすら淡々と進んでいき、ちょっと退屈ともいえます。「3~4日に起こった出来事」を描くことが多かったというジブリ作品の中で、本作は30年にわたる1人の人間の生涯を描いています。「設計者の日常は地味そのものであろう」とは宮崎監督の弁。

作中で心の師カプローニが二郎に「創造的人生の持ち時間は10年」というアドバイスを与えます。狭い意味では「ものづくりの才能を発揮できる期間」でしょうが、筆者は「人が輝ける時間」だと受け止めました。

サラリーマンにせよ、スポーツ選手にせよ、もしかしたら恋愛のような人と人との関係も、スポットライトが当たったかのように輝けるのはせいぜい10年なんじゃないかと。連続した10年でなくとも「あのときはよかった」と思える時間。

それ以外の時間というのは、食べて仕事して寝て……同じような日常の繰り返しで、ドラマチックなことなんて起きやしない。人生の99%はそもそも、めちゃくちゃ地味なものだと思います。ごくたまに訪れる幸福な瞬間のために、日々つらいことや、つまらないことを繰り返しているのではないかと。

その営みをリアルに描いているのが『風立ちぬ』なんじゃないかと思います。感情の嵐は起きないけれど、見終わってからジワジワと胸にしみてくる。まさに人生そのもの。それが本作の魅力です。

・二郎は冷たい男か?

この映画の評価を分ける遠因に、キャラクターに共感できない、ということもあるようです。よく評されるとおり二郎は飛行機オタクです。宮崎監督の言葉を借りると「狂的な偏執」で、寝食忘れて飛行機づくりにのめり込み、ちょっと浮世離れした人物として描かれます。しかし “心” がないわけではありません。

泣きながら東京に向かうシーン、駅で必死に菜穂子を探すシーンなど、深い愛情が感じられる場面がたくさんあります。(というか、マイペースな二郎をあんなに慌てさせられる人物は菜穂子しかいません。相当ホレているんですね)変わり者ではありますが、十分に人間的な人物です。

それなら物語の終盤、二郎は菜穂子を連れ戻したり、あるいは自分が療養所に行って付き添うべきだったでしょうか? 筆者はそうは思いません。どんなにつらくても、与えられた使命をまっとうしなければならない、というのが宮崎監督のメッセージだからです。

余談ですが、本職ではない庵野秀明氏が声優を務めたことについてもいろいろな意見がありました。しかし、宮崎監督がこの配役に大変に満足していたことはよく知られています。

・菜穂子の行動の謎

菜穂子もまた波紋を生んだヒロインかもしれません。特に療養所を脱走してくるくだり。

思うに、菜穂子は病気さえなければ、基本的には快活で行動力のある女性です。そして最初のうちは病気を治して二郎と結婚する、そのために自ら療養所に入って治療をするという前向きな目標がありました。

しかし、その願いは叶いそうもないことに2人は気づき始めます。療養所からの飛び出しや、なかば強引な結婚&同居は「もう残り時間がない」ことを悟った末の行動です。座敷で1人寝たきりになっている菜穂子が可哀想、というセリフもありますが、たぶん菜穂子は幸せでした。二郎を待つ時間や、二郎の仕事を見ながら眠る暮らし。

とはいえ、ささやかな同居生活は、長くは続けられないことが最初からわかっていました。病気の終末期には、食事から排泄まで看護もなく過ごすことはできません。まして二郎にその役目はできないのです。なので菜穂子は療養所に帰りました。

「美しいところだけ、好きな人に見てもらったのね」という黒川夫人のセリフ、これは女性らしさや外見の美しさというよりは、美しい記憶という意味でしょう。

病み衰える姿が汚いということではなく、身体が不自由になったり、恐怖で取り乱したり、病気の進行で苦しんだりする姿を見せたくない、元気な姿だけを覚えていて欲しい。「嫌われる」とか「申し訳ない」という負い目とも違い、ただただ「悲しませたくない」という気持ち。

相手が親であれ子であれ恋人であれ、筆者は結構共感できます。「それでもいいから一緒にいる!」となるかどうかは相手次第ですが。

・結核、移るんじゃ……

ちなみに、何度も登場するキスシーンなど、結核が移るようなスキンシップを平気でするのはまさか道連れ? それとも心中? という疑問はありますが、たぶんどちらでもないのでは。

感染しても発症しないケースが多いこと、家庭で身近な家族が看病する例が相当数あったこと、当時の医学的知識などから、感染の心配については二の次だった、と考えるのが自然ではないでしょうか。菜穂子は二郎が生きることを願っていたと思わせるラストシーンもありますし。

ただ、もしかしたら二郎の方は純国産の戦闘機を作るという仕事を終えさえすれば、自分も死んでもいいというくらいは思っていたかもしれません。菜穂子を失い、また自分の作った戦闘機でたくさんの人が死に、罪を背負っていきますから。

ただしその二郎も、ラストシーンで菜穂子の意思を感じて考えを改めたように思います。これからも生きていく、そんな悲壮な決意を感じます。

・大人向けの作品

『風立ちぬ』は明らかに大人向けの作品です。楽しいこともつらいことも、ある程度の経験を積んだ人にこそ刺さる、そんな作品のような気がします。筆者は126分間、自分の人生と重ねっぱなしでした。

というわけで、人生80年とされる道のりもそろそろ下り坂にさしかかり、酸いも甘いもかみ分けて「創造的人生の持ち時間」を使い切っちゃったかもしれない筆者にはバイブルのような映画になったのでした。「力を尽くして生きているか?」と宮崎監督に問われているような気がします。

夏のジブリにもう1作品、『風立ちぬ』いかがですか?

参考リンク:スタジオジブリ金曜ロードシネマクラブ
執筆:冨樫さや
Photo:RocketNews24.



【ネタバレあり】今こそ映画館で見るべき! 原作でしかわからない『風の谷のナウシカ』の5つの設定

既報の通り「一生に一度は、映画館でジブリを。」のキャッチコピーとともに、全国の映画館でスタジオジブリ作品を上映している。初週末の6月27日〜28日には『千と千尋の神隠し』『もののけ姫』『風の谷のナウシカ』が動員数トップ3を独占した。

これらが日本を代表する名作であることに異論はないだろうが、多くの人にとってはテレビで繰り返し放映され、DVDの1枚くらい持っていたり、なんならセリフまでいえてしまう「見飽きた」作品ではないだろうか。そんな人にこそ映画館で見て欲しい!

ストーリーなんてとっくに知ってる、という方に向けて、より理解が深くなる「原作でしかわからない設定」5選をご紹介。ただし映画を1度も見たことがない人にはネタバレになるので注意願いたい。

・その1. 映画の内容は、全体のほんの序盤である

有名な事実だと思うが、原作は雑誌『アニメージュ』に10年以上かけて連載された宮崎駿氏の長編漫画である。対して映画版は上映時間わずか116分。原作の「ほんの序盤を」「大幅に設定を変更して」「主要な要素だけを取り出し」再構築したものである。

物語としては「別物」といってもいいくらいだが、静から動へ劇的にシーンが切り替わるスピード感や、音楽による盛り上げはアニメならでは。声優陣の名演により、キャラクターの個性も際立っている。淡々と進む原作漫画に比べて、ダイナミックな感動が得られるのが映画版だ。

・その2. あの不気味なシーンの意味

映画版でのナウシカは、とにかくかっこいい。風を自在に操り、誇り高く勇敢で、危険が迫っている人がいれば迷わず駆けつける。生まれながらの指導者であるかのように人を導く意志の強さがあり、それでいて少女らしい明るさや無邪気さも見せる。

序盤から終盤まで見せ場の連続で、誰もがナウシカの活躍に胸がスカッとし、とりこになるのではないだろうか。

その一方で「ラン、ランララ、ランランラン〜」という印象的な音楽が流れる幼少期の回想シーン、あそこになんともいえない不吉なものを感じる人も多いだろう。「あのシーン要る?」「なにを意味してるの?」と思うかもしれない。

原作ではもっと掘り下げられるのだが、蟲(むし)と心を通わせることは、自然豊かな風の谷にあってもタブーに近いことだ。ナウシカは小さい頃から蟲や腐海(ふかい)に特別な関心を寄せる子どもだったことがわかるが、それは決して褒められたことではない。

もっとも身近な存在である城おじのミトにも「人よりも蟲の運命に心を寄せているのではないか」と不安がられる場面がある。人間の世界においてはちょっと異端の存在、それがナウシカだ。

ナウシカのモデルとなったのはギリシャ叙事詩『オデュッセイア』のナウシカア(ナウシカアー)ともう1人、日本の古い説話「虫めづる姫君」だという。貴族の娘が年頃になっても身なりに構わず、虫ばかり追いかける変わり者で……というお話。

おそらく「誰からも理解されない孤独」はナウシカの心の奥底にずっと巣くっている。原作の父ジルは映画よりもずっと厳格な印象を与え、また「母からは愛されなかった」という記述もある。映画はエンターテインメントらしく大団円で終わるが、ナウシカの旅はその後も原作で続いていく。

・その3. クシャナは実は部下に愛される名将

トルメキアの皇女クシャナ。映画版のクシャナは辺境の地に侵攻してくる冷酷で傲慢な暴君として描かれ、ある意味「わかりやすい敵役」になっている。同じく統率者の娘でありながら、民から慕われるナウシカとの対比が鮮やかだ。

映画版のボリュームではとても彼女の背景まで描いている時間がないためやむを得ないのだが、原作のクシャナは家族との葛藤を抱え、部下の死を悼む(いたむ)人間味のある指揮官である。部下からの信頼も厚く、彼女に忠誠を誓う兵士がたくさんいる。

そのカリスマ性のために実の父や兄からも命を狙われ、厄介払いのように辺境に追いやられているのが実情だ。ちなみに片腕を奪われたために蟲を嫌悪している、というのは映画だけの設定。

ナウシカは彼女を「深く傷ついた鳥」「本当は心の広い大きな翼をもつやさしい鳥」と評す。最終的にクシャナは民衆を率いる優れた統治者になる。

・その4. クロトワはいい男

映画版では「クシャナの側近の小悪党」というくらいの存在だが、参謀クロトワにも背景がある。実態はクシャナを監視するために本国から送り込まれたスパイであり、クシャナの処刑までが計画に組み込まれている。

ただ、賢いクシャナは映画版でもクロトワを「タヌキ」と呼び、思惑に気づいている。お互いに「油断ならない」と思いながら、利用し利用される「大人の関係」がクシャナとクロトワである。

任務の成否にかかわらず、平民出身のクロトワは自分が口封じに抹殺されるであろうことも自覚している。たたき上げの凄腕パイロットでもあり、原作でクシャナの窮地を救う場面は思わず惚れ直すかっこよさである。当初は保身のためにクシャナを利用しようとしたクロトワも、次第に彼女の人間性に触れ、本当の右腕になっていく。

・その5. 最終的には生命の選択の話になっていく

映画版でナウシカは腐海の秘密の一端に触れる。毒の森だと思っていた腐海は、実は何百年もかけて大地の浄化をしており、王蟲(おうむ)は森を守る存在である。

対して人間はといえば、残されたわずかな土地を巡って戦争を繰り返し、人間同士で支配・被支配の関係を作り、人工生命体を生み出す古代の科学技術まで兵器として利用しようとする。

原作でも物語が進むにつれ、人間の愚かさ、残酷さ、罪深さがはっきりしてきて、ナウシカでなくともいっそ世界は腐海に飲まれた方が幸せなんじゃないかとさえ思えてくる。

「みんなの願い」というショートストーリーをご存じだろうか。神様から「みなの中でもっとも多い願いを1つだけ叶えるから決めておくように」といわれて、人類の指導者たちはあれこれ思案する。しかし、当日になって神様が叶えたのは「人類の消滅」だった。人間よりも遥かに多い自然界の生物たちの最大の願いは、人類がいなくなることだった……という話。

皮肉のこもったSFショートショートなのだが、笑えない話である。地球上に生きる多くの生命からすれば、人類こそが諸悪の根源、という考え方は納得できるものがある。

先述の通り、人間よりもむしろ「あちら側」に近い存在のナウシカには、何度も「誰も傷つかない、清浄で完璧な世界」を選ぶチャンスが訪れる。

実際にはその楽園も仕組まれたものという二重構造があるのだが、ナウシカは権力者の欲望が生み出す怨霊や生物兵器にさえ等しく慈愛の心を持つ。「私はこちらの世界の人達を愛しすぎているのです」は名セリフだ。

人間の心からあふれ出す闇さえも「自分のもの」として抱え込み、苦しみながら、人として生きるナウシカの物語、それが原作漫画である。

・ぜひ映画館で見て欲しい

『風の谷のナウシカ』とは、あまりに有名すぎるので「知っているつもり」になる映画だ。「その者、青き衣をまといて……」のセリフなんて、もはやネタといっていいくらい使い古されている。

しかし、ぜひ今一度、映画館で一瞬も目を離さず見てみて欲しい。テレビだとCMが入る度に集中が途切れるし、スマホに気を取られたりトイレに立ったりすることもあるだろう。しかし映画館では世界に没入できる。筆者がそうだったように、改めて見るときっと「こういうストーリーだったのか」と開眼する。

原作漫画は徳間書店から全7巻で販売中。哲学的で難解なところもあり、なにより映画版とまったく違うストーリーで人を選ぶかもしれないが、こちらもぜひ一読してみて欲しい。

参考リンク:スタジオジブリ徳間書店
執筆:冨樫さや
Photo:RocketNews24.



【劇場公開中】人生で初めて『もののけ姫』を鑑賞したら想像と全然違う話だった!!

2020年6月26日から、全国の300を超える劇場でスタジオジブリの名作が放映開始となっている。恐れながら、私(佐藤)が最後に劇場でジブリ作品を見たのはたしか19歳の時の『紅の豚』だ。それ以来、約30年にわたって劇場で見ていない。

そんな私が、TOHOシネマズ新宿に『もののけ姫』を見に行ってみた。まさかスクリーンでこの作品を鑑賞する日が来るとは、思ってもみなかったぞ! 実際に見たところ、勝手にイメージした作品と全然違ってビックリした。とても深く考えさせられる作品であった。

・キャラの名前しか知らない

現在放映されているのは、『もののけ姫』のほか、『風の谷のナウシカ』、『千と千尋の神隠し』、『ゲド戦記』の4作品である。いずれも有名だから、作品を見たことがない人でもタイトルを聞いたことはあるだろう。『紅の豚』以降見ていない私でも、これらすべての作品名を知っている。

ちなみに、私はナウシカだけテレビで何度か見たが、他の3作品はテレビでも見たことがない。ただ、なまじっか登場人物の名前を知っている分、ムダに知識をつけていて厄介な状況だった。

たとえば、もののけのアシタカ? とか犬神様? とか。千と千尋のユパ様? 違う、ユバーバだっけ? カオナシとかなんとか。全部その名前だけ知っている。作中の役どころとか、ストーリーそのものは全然知らない。

・勝手にストーリーを妄想していた

実際にTOHOシネマズで133分の作品を見終わった率直な感想は、「とても面白かった」だ。そんなの当たり前だろ! とお叱りの言葉を受けるかもしれないが、どうか許して欲しい。リアルタイムの放映時(1997年)に見るタイミングを逃したまま、まさか23年も経過してしまうとは思わなかったんだ。

あの当時、遠恋してた彼女にも言われたんだよ、「(もののけ姫)見て」って。でも、その言いつけを守らずに別れたまま、月日は流れた。彼女が2児のママになっている……。

さて、鑑賞前に私が勝手にイメージしていた設定は次の通りだ。

佐藤の妄想イメージ
「山奥の村に住むアシタカは、村を守る青年。その村は俗世間との交流を持たず、自然に根差した暮らしをしていた。ある日、近くの城が使いを出して交流を迫ったが、村のならわしにのっとって、その申し出を断る。すると、城から軍勢が攻めてきた。アシタカはもののけ姫に変身してこの軍勢と交戦する。村を守る巨大な犬のシシ神が戦闘に加わり、城の軍を蹴散らして無事に勝利。再び村は平穏な暮らしを取り戻して、めでたしめでたし……」

多少、妄想を誇張しているものの、おおまかにはこんな話ではないか? と想像していたのである。だが、実際に見ると全然そんな薄っぺらい話ではなかった。

・鑑賞した感想

内容に触れない形で印象に残ったところを紹介したい。まずはエボシ御前の存在だ。森の生き物たちにとって敵なのに、人情味のある人物であることがうかがえる。冷徹極まりない判断を下す場面もあるが、それにしても面倒見が良くタタラ場の人たちに深く慕われている点は興味深かった。

森側の理屈で見れば冷酷非道な暴君なのに、人間側の理屈で見ると慈愛に満ちた頭の切れるリーダーだ。作品を見ていると、その両面がずっと見えているので、割り切れない気持ちになった。

そして、サン(もののけ姫)の存在の落ち着きの悪さ。この作品がなぜ『もののけ姫』と名付けられたのか? と不思議に感じるくらい、その存在感は薄い。個人的には『アシタカ』という作品名でも良かったのではないかとさえ思えるほど、最初から最後まで話はアシタカ主導で進む。

同じ宮崎作品でもナウシカとは比べものにならないほど、サンの出番は少ない。とはいえ、人として生まれもののけに育てられた彼女の存在が、作品に大きな意味をもたらしているのは言うまでもない。

そんな訳で、私の妄想とは大きくかけ離れた素晴らしい作品だった。まだこの作品を見たことがないという人は、劇場に足を運んでみてはいかがだろうか。名作と呼ばれる理由がわかるはずである。

参照元:スタジオジブリ
執筆:佐藤英典



これで映画を撮ったら面白そう! “ジブリキャラクターを実写化した画像” が素晴らしすぎて必見!!

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子どもから大人まで、多くの人に愛される『スタジオジブリ』のキャラクターたち。その魅力あふれるジブリキャラクターを実写化した画像が、現在ネット上で注目を集めている。

そのなんともユニークな画像を制作したのは、海外アーティストのAndrew Michael Goldenさん。Goldenさんは、『となりのトトロ』のトトロや『千と千尋の神隠し』のカオナシなど様々なジブリキャラを見事に実写化しており、その完成度の高さにはただただ驚かされる。

特に記者(私)の目を引いたのは、『紅の豚』のポルコと『猫の恩返し』のバロンの画像。どちらのキャラクターとも、オリジナルに引けをとらないくらいカッコよく実写化されており、これで実写版映画を撮ってほしいと願ってしまうほどだ。

みなさんはGoldenさんの実写化画像のなかで、どのキャラクターが気に入っただろうか? また、この他にどのジブリキャラを実写化してほしいだろうか? ちなみに記者は、『もののけ姫』のこだまの実写版が見てみたい。というより、屋久島にいるという本物のこだまが見てみたい!

(文=田代大一朗

参照元:Andrew Michael Golden

▼ジブリキャラの実写化画像はこちら:http://wp.me/p25BsW-170m


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